vol.174 目の前の世界でトータルに生きる
スーザンさんからのお便りの続き
・人間の思念の限界
・バランスを欠かない「極める」の正しいニュアンス
『動画Vol.91にて、エントロピーが高い状態の方がエネルギーが低いとお教え頂きましたが、本来ある全的なものをバラバラに捉え、一部分に焦点を当てるという考え方は、エントロピーを増加させることに繋がり、結果的にエネルギーを減少させ、アンバランスな状態を招いてしまうと考えてもよろしいのでしょうか?』
これは難しくてですね、一概にそうとは言えないんですよ。何でかというと人間なんていうのはそもそも、この世界を全体でとらまえて思念するとか、考えて生きるとかいうことは出来ません。キャパがそもそも小さいから。エネルギーも小さいから。だからせめて自分の好きなところにエネルギーを特化して局所的にそこを専門家していく、というふうにしか出来ないんですよ。それ以上無理!正直。仏陀だっても無理、それは。いかに、あれほどの巨大なエネルギーを持った方でもオールマイティでやるってのは無理よ、やっぱし。
仏陀できる?
あーいや、でもやっぱ無理だって。その人間の肉体としてやる限りはやっぱ無理です。
ということですね。
だから、局所的っていうか、なんかに特化してそこを極めてくってのはアンバランスでもないんだけどね。
うーん、そん中に全体を見るっていうか。考え方があるでしょ、スーザンさんごよくご存知の、なんだったっけ。フラクタルか。
だから、別に全宇宙を理解しなくても、本当にもう素粒子の1番細かな素粒子1個をトータルで理解したら、それでもう全宇宙が理解できてしまうという、このなんか不思議な構造。それはね、やっぱこの宇宙のありようなんですよ。
ただしですね、 中途半端に極めようとすると、やっぱアンバランスになっちゃうね。そこは。
例えばそのなんつうの、よくあるじゃないですか。「おいら江戸っ子でぃ」とか言って、なんつうの「江戸っ子だから、これしかやんねえんだ」とか言ってる。これは例えばですよ、江戸っ子が全部そうだというわけじゃないんだけども。大工の棟梁とか、寿司屋でもいいんだけども、自分はもうなんか寿司を極めた寿司屋だから、客なんかどうでもいいとか。ラーメン屋とかあるでしょ、なんか怒鳴り散らすラーメン屋さんとかね。みんな喜んで行くみたいだけど、マゾなんか知らんけど、ああいう感じだよね。
だから、ラーメン極めるんだったら、料理。なんつうの、料理教室だったら別だけど、ラーメン屋をやってるわけですよね。ラーメン屋をやってたらラーメン屋を極めなきゃいけないわけですよ。
ただ、もちろんラーメンを極めるってのはもちろんあるけども、客商売だから。お客さんがどれだけ気持ちよくおいしく 食べて帰っていただけるかっていうのを思慧するのがラーメン屋の極みでしょ。
そこをですね、お客さんを外して、自分はもう作りたいもん作って、それだけであとはもう知ったことじゃねえと。 それもクレームつけるようなやつは来なくていいみたいのは、やっぱバランスを欠くわけですよ。例えばの話ね。
だから、そういう風に局所的に極めたとしても、なんつうの、その局所の中でアンバランスを築いてしまうというのが狭量な人間にはままあるから、そこは気を付けた方がいいですよね。ま、難しいです。